フジファブリックと自分を繋ぐもの
2009年に訃報を聞いて、志村會のすさまじい列に並びながらここまで多くの人に慕われるようなクリエイターになりたいと思ってしまった。
混じりけのない透き通った水のような音楽と同じくらい純度の高い小説や音楽を下手なりに作って、少しでも追いつきたくて10年できる範囲で創作を続けてきた。
音楽を辞める決意をした14年、だんだん新しい音楽に興味を示せないほどダメージを負ってもフジファブの新曲だけは常に聞いてきた。
恐ろしいペースでコンスタントに何でそんなに音楽が作れるのかと正直思ってしまう。彼らのワーカーホリックぶりに少し心配になりつつ、あり得ないくらい漫画を落とされ続ける中でフジが新しい扉を開き続けるからこちらも負けてられないと思わされる。
人生で何もいいことはなくて、さえない日常がひたすら繰り返される中で虹色の彼らの音楽で強引に染めて、突き進みたくなる。
普通の人間ならあきらめてしまうようなタイミングでも音楽や小説や漫画を自分なりに描き続けられたのは、志村正彦、金澤ダイスケ、山内総一郎、加藤慎一(敬称略)のfabな4人がいなければきっと不可能だったと思う。
GREAT3の彼岸もすごくいい曲で最近なぜか聴きたくなる。
それなりに尊敬してた親戚の叔父が急死して三回忌とかをやって、祖父母の死(長生きだったが)や今年が志村氏の没後10年という大きな節目だったからだろうか。
希望が潰えそうな時ほど、フジファブリックを聴きたくなるのはどうしてなんだろう?